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「千田兄弟回航記(天晴ブリージングスマイルⅢ回航:シーボニア→ハウステンボスマリーナ)」
2011.4.10(1日目) シーボニアマリーナ(油壺)→ 江ノ島マリーナ
千田兄弟2番目の隆家族3名、橋本(弟学生時代友人)親子2名をゲストにクルージング。
夜は17時30分より、ファーストマリーン関口社長と「寿司政」で進水祝いの会。
石原兄弟が利用する老舗で最高。優くん(甥)が、イクラに初挑戦。旨い!と。
2011.4.11(2日目) 江ノ島マリーナ → 伊豆下田港下田ボートサービス
朝のうち、風弱く南下するにつれ、風、波上がる。伊豆大島にかかる頃からドン吹き、向い波高3M強。アンカーハッチの排水口詰りで、アフトキャビン内に海水が浸水。到着後、原因と処置。尚衣類半分浸水。
なにはともあれ、ペリー来航の地に天晴千田兄弟来航!下田ボートサービスに電話しビジター利用。係留地スタンから風と波が当たり、夜中じゅう波音で寝付けず。
夕食「おふくろの味●●」に入るも、咳をしながら調理するおばさんと息子(病気か?)が、汚い私服で調理。刺身定食、スーパーで買って数日後という感じで、すぐにお会計。口直しに入った居酒屋「賀楽太」は、女将さんが気さく、
2人のお客さんも陽気で、回航話に関心持ち、盛り上がる。1件目の払拭でき、下田の印象上がる。翌日、女将さんより留守電に福田漁港の情報頂く。
2011.4.12(3日目) 伊豆下田港 → 御前崎港
天気予報波高3Mのち2M、風NEのちW。8:45石廊崎通過、14:10御前崎着。波高も追い波で御前崎前まで順調も、御前崎過ぎて波風共にアゲンスト(W)に。
漁協に係留の相談に行くも、新設の御前崎港マリーナへの移動を促される。埋め立て地でちゃちな係留施設に加え、西風がもろに当る。事務所のおじさんが、「明日は時化る。明後日出港がマシだ。」という意見もあり今日は宿に泊まる。GPS、携帯の充電もあり、延泊の場合船中泊とし宿泊場所を探す。
マリーナ事務所でもらった観光案内で一番安い宿(2食付)「旬彩」、タクシーの運転手は他の宿を最後の最後まで進めるも、病み上がりの大将の不思議感はあったものの、料理は値段の割りに中の上。刺身定食に天ぷらサービス。岬の先端の宿で、朝起きて波風を判断できるメリットの宿。
2011.4.13(4日目) 御前崎港 → 伊良湖マリーナ
朝起きて海を見ると波風弱く、出港を決定。しかし早朝のためタクシー営業外。徒歩約40分かけてマリーナへ。
御前崎岩付近から変針後、強風と向い波が上がっており、最悪20マイル先の福田(ふくで)漁港への入港を考え進む。朝の予測の浜名湖過ぎれば、
波風が落ち着くのではという判断が当たる。浜名湖沖、12時通過。
大王崎(波切港)、安乗は日没に間に合わないと判断。今日の寄港地を愛知県渥美半島の先端北側の伊良湖マリーナに決定。
マリーナ事務所営業が17時30分で、係留手続き後、トイレ、シャワー、水が使えない状態。係留料6,000円は高すぎでは?
唯一の売店「道の駅」が18時に閉店と聞き、まずは購入へ。17時40分道の駅に着くも玄関が施錠され、女性スタッフらしき人物に聞いた所、
明日の昼食が課題に。マリーナから徒歩5〜6分のホテルの大浴場に行き入浴。ビーチの向こうに夕日が落ちていき、その夕景にさっきまでの嫌な思い消える。
夕食はホテル前にあるマリーナスタッフ紹介の「みなみ」へ。貝料理が売りで、焼き大あさり(ハマグリみたいな大きさ)一人前3個を、兄貴が最後に追加注文。
GPS、携帯の充電、明日の昼食のおにぎり入手。芸能人の来店多く、味も上々。
2011.4.14(5日目) 伊良湖マリーナ → 勝浦港フィッシャリーナ那智
8時30分大王崎通過。出港時、久々の回航日和。当初、尾鷲泊の予定も尾鷲近くでGPSで計測し、尾鷲港14時到着、那智勝浦17時と出たため、
天候も良く、こういう日に距離を稼ぎたいため、急遽目標地をフィッシャリーナ那智へ。那智港12マイル付近からドン吹きになり、
艇速も6ノットから、3ノット台へ。営業時間17時も、予約と随時連絡で到着まで待ってもらった。日没薄暮となって入港。
ここで、千田兄弟らしい一コマが。入港する港を兄貴が那智勝浦港と判断。弟が那智港と勝浦港別ではと。勝浦港が那智勝浦港であれば、
港湾案内の何処がフィッシャリーナか?と問い、約30分弟の強い口調が兄貴を攻める。マリーナスタッフとの電話でのやり取りで、
勝浦港北側の那智漁港にフィッシャリーナがあることが判明。ただし、チャート、GPS、港湾案内を見てもアプローチが判らず、
最後兄貴が電話で先方スタッフ(陸)から誘導してもらい入港。航路ブイもなく、黄色(危険を教える)のブイが何個もあり、
誘導サインもなく、初めての入港者は絶対判らなかったと思うので、スタッフに残ってもらって正解でした。
入港後、地元の船(岡崎造船33ft)のオーナー森さんが居て、しばらく周辺情報を教えてもらう。スタッフ、森氏が、午後からの時化のため
良く来たなと労われた。落ち着いた後、情報で得た那智駅横にある浴場「丹敷の湯」へ。利用者なく貸切。すごく新しい大浴場で、
外の横にある明朝使うであろうトイレも新築の外装。夜は、大浴場(2F)の下にある観光案内でもらった情報誌でタクシーを呼び、
運転手さんに聞いて行ったマグロの専門店「桂城(かつらぎ)」で、桂城定食(マグロ料理アラカルト)をベースに、カマ焼きなど堪能。
九州では珍しい味に舌鼓。そう言えば、お昼過ぎに紀伊半島側の上に、他には雲一つない状況に、龍が飛んでるような形の雲が出ていたため写真撮影。
翌日「那智の瀧」の守り神が龍で、時に瀧の水しぶきが龍が登っているように見えるとかで、きっとその龍が天晴Ⅲをお出迎え、水先案内に来たのでしょう。
2011.4.15(6日目) フィッシャリーナ那智 → 串本港
7時33分那智駅前出発のバスで、「那智の滝」見学へ。所要時間15分くらいで大門坂前へ到着。熊野古道と呼ばれる杉の大木の合間の小道を登り、
那智大社、那智山青岸渡寺(西国大一番札所)、飛瀧神社を見学。上りは、ダイヤモンドヘッド登山より、しんどかったが、その後に見た瀧は最高!
買い出しを済ませ、フィッシャリーナに戻ると、風が段々上がって来ていたため、事務所にスタッフが来る13時を待たず、支払いをポストに入れ、12時に出港。
すでに、波上がってきていて、16マイルの短い日程のため、気合いで乗り切る。途中串本入港1時間前くらいから、土砂降りの雨に合い、濡れながらの入港。
漁協に電話して、係留場所を決定。
便利のいい岸壁で、後片付け後隣りの船の漁師さんに情報を聞き、「串本温泉」へ。
ここは以前、和田金旅館の大浴場だった所で、弟である私は15年ぶりに入浴。入浴後、コインランドリーで洗濯しながら、ネットの「食べログ」で串本の夜の食事ランキング1位の店「萬口」へ。
カツオの刺し身、タタキ、生春巻き揚げ、お茶漬け(店No.1)を堪能。芸能人も多く来店している名店でした。店名の読み方は、「まんこう」万人の口に合う
ものをと先代が付けたそうです。決して、・・・ではありません。
2011.4.16(7日目) 串本港 → 御坊港
串本港を出た時点から大時化。海上は波高3M〜5M。地元漁船が数隻出て行くので負ける訳にはいかない気持ちと、
今度の天晴Ⅲの強さをすでにこの数日で感じ取っていたため、天気が回復傾向なので、何としても最悪田辺港まで行こうと、
予定である由良のナカヤマリーナを目指し出港。時化の中も順調に快走も、昼を過ぎた頃から潮の影響により日ノ御崎(北)からの波風が強く、
今日の寄港地を変更。最初近い印南港を考えたが、町が小さそうなため、また、少しでも距離を伸ばして翌日新西宮まで行けるように、
急遽さらに北側の御坊港に変更。
御坊港に近づくにつれ潮の影響で低速が3ノットに。ようやく御坊港に着き、船にいた漁師さんに聞いて着岸。
その後漁協を訪ね、係留場所の許可を。最後は、松村組合長さんが来て直接OK承認してもらう。
ただし、港にはトイレもシャワーもなく、タクシーで片道1,700円出して「宝の湯」へ。帰りに、タクシーの運転手に聞いて、
「がらくた」という居酒屋で、食事。急遽入った港なんでしょうがないです。
2011.4.17(8日目) (塩屋)御坊港 → 新西宮マリーナ
御坊港を出港、日ノ御崎までは前日と違い潮の影響もなく6ノットで快走も、日ノ御崎をかわした途端、北からの大うねりで大時化。これまでの日で一番。
波の中に突っ込んでは、シャワーを顔面に受ける連続。一時間くらい葛藤した頃から、体が浮くのを感じ、兄貴に舫結びのロープを渡してもらい命綱として
ハーネス代わりの身体に付ける。耐えに耐えながら、有田を過ぎた頃から少しづつ落ち始め、大阪湾に入り友が島を過ぎると、嘘みたいにべた凪へ。
今日の目的地新西宮ヨットハーバーを目指す。
途中萩原さんが、義弟の石田さんのボートで、ウェルカムのお出迎え。先に帰って待っているとホームポートの新西宮ヨットハーバーへ。
天晴Ⅲは快走を続ける。それが到着直前2,4㎞でエンジン音に異変。デコンプを引きエンジン停止も、ガス欠。萩原さんに伝え、
石田さんのボートで曳航へ。曳航後、給油そしてエアー抜きをサービス(ヤマハ)にしてもらい、エンジンがかかりビジターバースへ。
係留後、出迎えてくれた萩原さんと私(弟)の中学高校の同級生吉原氏と4人で萩原さんの車で鳴尾浜にあるスーパー銭湯「熊の湯」へ。
館内のレストランで御膳とビールを飲み、その後入浴。萩原さんにご馳走になる。マリーナまで送ってもらい船へ。
2011.4.18(9日目) 新西宮マリーナ → 姫路木場ヨットハーバー
朝5時起床、牛窓を目指し出港予定も、エンジンがかからず、工場スタッフの出勤する9時30分まで待つことに。オイルも少なくなっているため補充依頼。
9時すぎサービスが来てくれて、エアー抜きを丹念にやってもらい10時40分完了。目的地を姫路木場ヨットハーバーへ。
昔KAZIカップが行われていたハーバーである。エンジン順調で明石海峡へ突入も、逆潮で1時間バトルしてコースを橋の端っこ岸沿いにしてようやくクリア。
昼から雨の予報もまだ雨にならず、先を急ぐ。1時間した頃から雨が振り出し、本格的な雨となり視界も悪く、本船と網に注意しながらGPS頼りで目的地へ。
ハーバースタッフが5時20分までしかおらず、過ぎるとシャワーが使えないため先を急ぐも、18時近くにようやく到着。
海は荒れていたが、河口にあるマリーナの中に入ると波静かでとても良い所であった。到着後、トイレと電気が取れる場所を確認し、
タクシーを呼んでスーパー銭湯へ。タクシー代片道約1,600円。食事は、帰りのタクシー運転手の勧めの店「竜馬」。お好み焼き、鉄板焼きの店で味は普通。
2011.4.19(10日目) 姫路木場ヨットハーバー → うしまど海の駅
午後から風が上がるとの情報があり、朝早めに出港し牛窓へ。
今回牛窓への寄港は、これまで乗っていた天晴Ⅱを8日に見に来て購入を決めてくれた方々との面会を兼ねたものである。
売買の窓口の芝さんと連絡を取りながら牛窓へ。途中、海況が荒れだして来て、着岸する浮桟橋への係留は波風がもろにあたり大変だったが無事係留。
その後、ポリ缶2缶軽油をガソリンスタンドに芝さんの車で買いに行き,戻って昼食を久々に陸の上で食べることに。
桟橋の前のラーメン屋でラーメン定食をすすった。時間があったため、周辺を散策し、船に戻る。
15時すぎに、芝さんが天晴Ⅱの新オーナーである片岡氏と友人を連れて船へ。しばらく談笑も、ヨットは初めてで、仕事はマッシュルームの製造販売。
外国人との交流が多く、ヨットを活用したい意向。とても雰囲気の優しそうな方で、天晴Ⅱの嫁入り先としては最高と感じた。
夕方、芝さんの計らいでマリーナを運営するホテル(桟橋の目の前)の大浴場で入浴。入浴後、兄が携帯がないと気づき、船と風呂場を探すも出て来ず。
お風呂場に行く際、支配人の目を気にして、社員通用口を通って行ったため、その部分は,我々単独では探せず。翌日フロントと芝さんに依頼する。
2011.4.20(11日目) うしまど海の駅 → たどつ・こんぴら海道海の駅
今日は午後から金比羅産へ行き、船のお祓いをする目的で出港。昨日芝さんに聞いたルートで多度津を目指すも、直島を通過後、
西からの吹き抜けの強い風と波に合いながら、瀬戸大橋を通過し、10時30分頃到着。
給油と洗濯を済ませ、いざ金比羅さんへ。マリーナから駅まで徒歩(約20分)で行き、JRで三つ目の琴平駅でおり、
参道のうどん屋できつねうどんを昼食に。
きつねの揚げが、どんぶりからはみ出すほどの大きさで,350円は超安!腹ごしらえが済み、万全を期して金比羅さんの階段に挑戦。
どうにかこうにか登り終え、海上安全のご祈祷を本殿で執り行ってもらう。
建物の雰囲気があり、本殿には一般人は祈祷を依頼した人達しか入れなかったため優越感を感じた。
夜は、マリーナ近くの「海食処 笑門家(ええもんや)」で。値段が安く地元の人が多く、当りの店でした。
2011.4.21(12日目) たどつ・こんぴら海道海の駅 → 北条港
今日も、今回の回航の中での観光の目玉である「道後温泉」に入るために北条目指し出港。
来島海峡を避ける芝さんに聞いたルートである宮の窪瀬戸を通ると、潮の影響が少なく思った以上に楽に通過でき、14時すぎ北条港到着。
数日前、松山工務所(松山市)に北条港係留許可の連絡をしたがプレジャーは受け入れていないと断られ、島マリンの紹介を受けていたが、
場所が陸での移動に辺鄙なところであり、北条港への入港は強引な選択でした。
到着後、桟橋の前の小田商店で給油をしてもらい、いざ松山へ。徒歩でJRの伊予北条駅まで(約10分)行き、
JR松山駅下車、路面電車に乗り換え道後温泉へ。400円の入浴料を払い中へ。すごい賑わいで、東日本大震災のことを忘れるくらいの観光客でビックリ!
対岸の火事なのかな。
夜は、北条へ戻り「食べログ」で事前に兄が調べていた「かき船」という歩いてすぐのお店へ。安くて美味しいお店で、
野球中継で阪神巨人戦をやっていて地元の巨人ファン2名と阪神ファン1名、我々兄弟が阪神ファンで、ヤジ合戦となり盛り上がる。
巨人ファンのおじさん2名に誘われ、2件目はスナック今夕へ。演歌を歌って大盛り上がり、さらに2件目はご馳走になる幸運日。
森水産の森専務、長谷部さんありがとうございました。
2011.4.22(13日目) (伊予)北条港 → 姫島
昨晩の余韻を胸に九州大分姫島に向け夜明けと同時に出港。今日も昨日と同様で、今回の回航において珍しく穏やかな海況で機走で快走。姫島手前6マイル付近でエンジン音に変化、本船をよける際に海藻を引っ掛けたのかスピードダウン。
回転数を少し上げてみると、振動し始めスピードが上がらない。
一度ニュートラルに戻し、バックに入れペラを反転させたが状況は変わらず。
ラダーの所に絡んでいた海藻は流れたが、ペラにまだ海藻の弦でも巻いた感じで付加を掛けられないため、回転数を抑えスピードダウンで姫島へ。
明日新門司マリーナで上架する手配を連絡し、初めての姫島へ。
漁協へ連絡し係留場所を確認。中条支店長が対応も、「いいんじゃないですか。」とハッキリしないが、漁師さんに何か言われた場合のリスク回避としては、肩書き効く!
空いていた場所で、風、波がまったく当たらず、さらに干満差の激しい港で嬉しいゴム製のハシゴが架かっている岸壁に係留。
到着後、昨日電話していた「お食事処 かのや」さんから聞いた温泉へ行くためタクシーをやっているお土産屋さん(東おみやげ店)に連絡しお風呂へ。
片道800円定額で契約。温泉が出しているバスの時間が合わず、入浴後の帰りも送ってもらうことに。それも入浴中も待ってもらって。
帰りの料金は、100円引きの700円に。待ってもらったのに、「やっぱり九州は良かっ!」。
温泉から夜の食事の店へ送ってもらったが予約時間より早く着いたため、近くにスーパーがあると聞き、朝のパンと昼のおにぎりを買いに行くも米類がなくパンだけを買う。
「かのや」は、家庭料理的なものがメインで、時期によっては姫島は車エビの養殖が盛んであり食べられるのですが、今回は養殖場に海水がまだ入ってない時期で、食べることが出来ませんでした。
2011.4.23(14日目) 姫島 → 新門司マリーナ
出航後2時間くらい雨に合い、その後は時々雨雲が通過する際、強風と雨に合いながら新門司マリーナへ。
今日は、朝からエンジン音も良く、付加も振動もなく快調。早々と新門司マリーナに到着し、上架をキャンセルし給油後係留。
埋立地のため付近にはコンビニや食堂がないが、レストランがあると聞いていたので、フロントで確認するとウェディングのため終日貸切とか。
土曜日で、よりによって「今日かよっ!」て感じでしたが、気を取り直して、近くにある大阪行きフェリーターミナル、コンビニを目指し徒歩でお出かけ。
歩いても歩いても永遠の埋立地の道。ターミナルにはレストランはなく、駐車場の先に食堂の看板を見つけ入店。
埋立地に会社がある人達と、フェリーに乗る人達で大賑わいで、日替わり定食650円が中華丼、春巻き、味噌汁の大盛りで兄貴は完食できず。
船に戻り、17時までのシャワーと夕食までの間に、回航記を書こうとしたが、久々のまともな昼食の満腹感と疲れに負け、2時間近く熟睡。
目が覚めると16時を過ぎていたため、シャワーへ。そして、フロントでもらった周辺マップにあるお食事処「たかせ」へ。
やっぱり九州。芋焼酎の銘柄も揃っているし味も旨い!タクシーで片道約1,400円のちょっと離れた所だったけど、まあいいお店でした。
トイレが、マリーナ事務所が閉ってから翌朝スタッフが出てくる8時まで使えないのが不便。艇置きしているオーナーも言ってました。
2011.4.24(15日目) 新門司マリーナ → 宗像大島港
昨日午後から風が上がっていたが、朝になってさらに風の音がする強風の中、関門海峡の潮の時間を考慮し、さらに1時間早く出港。
やはり、関門海峡前から風と大きなうねりで、玄界灘の状況が気になる。
今日は本来小戸ヨットハーバーを目指すも、時化の場合、宗像大島に変更を考え出港していたが、関門海峡の中で既にぐちゃぐちゃ。
関門を抜けたのがお昼直前で、やっぱり玄界灘は「ウサギが跳ぶ」状態以上の時化状態。波高3mにうねりを伴い、叩くたびに船を励まし、気合い注入!
16時に宗像大島に。係留する場所が判らず福岡へとも思ったが、時間的にも厳しく、やむを得ず時間をかけ陸にいた漁師さんに聞き、漁港横のフェリー乗り場のある避難港の岸壁へ係留。
係留後、兄がフェリーターミナル内でお風呂と夕食の予約を取り、時間がないためすぐにお風呂を貸してくれる旅館三國屋へ。
入浴料300円。その後、唯一開いていた喫茶店サン・ピエールで喫茶店メニューの焼そば2人前と、玉子丼、チキンライスでお腹をとりあえず満腹にし船へ。
閉店が早く19時で店を出る。帰り道で缶チューハイを1本ずつ買い、船に戻るも風が上がり、さらに防波堤の切れ間から波も入って来て船が前後左右に暴れている状態。
他に寝る場所もなく船に入り、先程買った酎ハイを飲み干し、20時に就寝。
寝てからも風と波による容赦ない揺れは続き、数分に一回の割合で来る船が岸壁に打ち付けられる際の大きな振動。
まるで大地震のような一晩で、朝の出港時も岸壁から離れられるか心配でした。
4月29日うみんぐ大島として、釣り堀、ボートステーションがオープン予定も、係留は岸壁に槍付けで気軽には利用できない。陸も今一でした。
今回の回航で一番条件の悪い港でした。
2011.4.25(16日目) 宗像大島港 → 平戸港
船に大きなダメージがないか心配で、早く床から出て夜明けを待って見た所、出航前、三崎(シーボニア近く)で買った2個の俵ブイの1個が全損し海上に浮遊。
もう一つもKO負けの状態で、辛うじて船に付いていて、夜岸壁近くで見つけた発砲スチロールのブイが、一番抵抗した後を残し、残っていました。
俵ブイが取れた所は、岸壁の黒のゴム製のラバーの色がハルに少し付いていましたが、思ったより外傷はなくホッとして早めの出港をしました。
出港時、風はブロー的に吹いていたので、タイミングを計り出港し、無難に出港。
出港時より、西風が強く波もアゲンストで、大叩きしながら進路を小戸ヨットハーバーに。
今回の小戸への寄港は、天晴Ⅱを新オーナーのもとへ回航する業者さんが、天晴Ⅱに載せていたクーラーボックス、陸電コード、オプションで作成していたオーニングを小戸に降ろしたので、ピックアップするためです。
出港が早かったため、9時には玄海島横を博多湾に入り、約1時間で小戸ヨットハーバーへ。係留し、すぐに荷物を載せポリ缶の20Lを給油し再度出港。
先程より風、波共に上がっており、小戸のスタッフも行くなら急いだ方が良く、無理せず呼子にでもと言われた。平戸に行こうとしていた船のオーナーは、見合わせるとのこと。
我々はまだ時間も早く、小戸の係留場所も宗像大島同様風と波が当たる最悪の場所で、船にダメージを受けない前に出港。
博多湾内のうちに、大波に備え日ノ御崎(和歌山県)以来の命綱(ハーネスもどき)のロープを身体に付け、玄海島を11時30分通過。
やはり先程より波が大きくなっており、完全なアゲンストの向きで叩かないように配慮しながらも時折完全に失速するような大波を越えながら呼子へ。
15時30分だったので、頑張れば、薄暮で平戸に行ける!平戸に近づけば、的山大島の陰に入るため波風が落ちることも期待して平戸に向ける。
天気予報で、今日よりさらに明日海上は時化ると言っていたため、今日中に玄界灘を通過したい気持ちも高くいざ平戸へ。
予想通り、平戸手前8マイル位から波の腰が弱くなり始め、どうにか薄暮の中、平戸港へ到着。
係留した頃には、真っ暗に。勝手知ったる平戸でまずは旗松亭のお風呂へ行き、その後夕食を町中の「●●●」に。
●●●御膳を注文し、お酒のあてに食べるも、お寿司屋的な店も、お魚は新鮮な感じはなく、すこしがっかり。今度は別の店にしよう!
平戸は、お風呂もあり、トイレも港に公衆便所があり、コンビニも桟橋前にあり、食べ物屋さんもそこそこあり、桟橋も浮桟橋なんで海の駅に登録すれば良いと思う。
以前長崎県観光連盟勤務時の同僚で平戸市観光協会にいる知人に海の駅のことを推薦しよう!
平戸は港町として、今年秋オープン予定の平戸オランダ商館に合わせ、港通りのお店の外観が昔の白の漆喰づくりに変わってきていた。一昨年行った時と比べ雰囲気が良くなっていた。
また、来ようっと!
2011.4.26(最終日) 平戸港 → ハウステンボスマリーナ
いよいよ最終日。いざハウステンボスへ。毎日の習慣から5時ごろ起床。
PCで気象庁の天気予報とウエザーニュースの波、風シュミレーションを確認。
昨晩のNHKの天気予報で長崎北部の波2.5mのち3m、南風が強いとだったが、今朝の情報もまったく同じであった。
6時40分平戸出港。平戸港内は、ベタ凪。出航後、時間の経過とともに、南風と南からの波が高くなる。
佐々町神埼の鼻にさしかかる頃から、海上はウサギだらけの状態になり、高島の鼻(牛ガ首)に向け変針すると波高2.5m強に。最終日のこの海域まで時化てくるとは。
10時30分頃向後崎を入ると波はなくなり、針尾の瀬戸へ。小潮のため逆潮の影響もなく抜け、大村湾へ。
大村湾も風が上がって来ており、時間とともに周りは、ウサギだらけへ。そして12時ゴールのハウステンボスへ到着。
今回の回航全般、アゲンストの風と波で時化ばかり。特に、御前崎(静岡県)、日ノ御崎(和歌山県)、関門から玄界灘は大時化でした。
夜も当たり外れがあり、四国、九州の人の良さが印象的でした。やっぱり、佐世保はいい所です。
皆さんの応援でどうにか兄弟2人で回航できました。回航のアドバイスを頂いたマリーナクラブの方々、ファーストマリンの方々、それから寄港地で出会った方々本当にお世話になりました。
そして、本当にありがとうございました。無事到着!
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